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【ヤマモトが行く】特別編:オープンミーティング@Tokyo(前編)

ヤマモトが行く

オープンミーティング14月に東京で「カフェフィロオープンミーティング」を開催いたしました、
当日はアーダコーダ代表の川辺様をゲストにお招きして、「哲学とともに生きる」ことについて考えました。
会場の皆様からも様々なご意見をいただき、あっという間に時間が過ぎました。
その対談の模様を2回に分けてお伝えします。

※当日は様々なご意見をいただきましたが、下記のレポートにその全ての発言が記載できているわけではありません。あらかじめご了承ください。

「哲学とともに生きる」とは?

山本(以下「山」):「哲学とともに生きる」「社会のなかで生きる哲学」というのがカフェフィロのスローガンになっているので、今日はこれについて話したいと思っています。前半は、「哲学とともに生きる」について川辺さんとお話しできればと。

川辺(以下「川」):このスローガンについて、何か悩んでいるんですか?

山:「哲学とともに生きる」とか「社会のなかで生きる哲学」って実際どういうこと?と聞かれると正直よく分からないところがあります。悩んでいる奴が代表やってていいのか?という話もあるんですけど(笑)。カフェフィロとしても見解が統一されているわけではないので、ここは開き直って、悩んでいることをあえてオープンにしたいと思いました。

哲学カフェとかの場で対話しているだけで「哲学とともに生きる」ことになるのか、というとちょっと違う気がします。どちらかというと「哲学とともに生きる」というのは哲学対話の場から離れたところの話なのでは、というのが素朴な印象です。

川:興味があるのは、哲学カフェ以外の場面ということですか?

山:そうですね。日常生活で考えている方が「哲学とともに生きる」っぽいと思います。

川:今思いついたままいうと、哲学カフェとかの場でやっているのをdoing philosophyとすると、「哲学とともに生きる」ということを考えたときに、他にもbeing philosophicalというあり方や、using philosophy というあり方もあるんじゃないかなと思いました。例えば自分は会社も経営しているんですけど、その時に哲学の感覚で考えると、物事をうまく進められるとか、色々といいことがあるんですよね。これはusing philosophyの例で、哲学でお金を稼いでいると言えなくはないんですけど(笑)

being philosophicalというのは自分が哲学的に存在するということですね。例えば自分が哲学カフェで参加者に説明するようなルールを、日常の生活に生かすということが、philosophicalな状態に自分を置くということだと思います。僕は哲学対話をすることで妻の指摘に耳を傾けられるようになったり、ケンカが少なくなったりしたんですけど、例えばそういうことだと思います。

山:なるほど。それはいいことですね(笑)

川:あと、仕事だとクライアントの抱えている課題を聞いている中で、「その課題よりも実はこっちの方が大きい課題ですよね」ということに気づいて、全然違うソリューションを提供したりすることがあります。それは自分が17や18歳ぐらいからphilosophyにハマっていろんな本を読んでいたからできることで、そう考えると今の自分を支えているんだと思います。「哲学とともに生きる」っていうと、「過去の哲学者の考えを楽しむ」ということとはちょっと違うと思うけど、そういうenjoying philosophyもあるんじゃないかと思いました。

哲学カフェのスローガン?

山:会場の皆様からも意見を伺いつつ、考えていきたいと思います。

参加者:まず、哲学って何かがよくわからない、ということがあると思うんですよね。自分は哲学カフェを開催していて、知り合いに「哲学カフェの哲学って何?」って聞かれたことがあります。私は困って「そんなの簡単に言えないよ」と答えたんですが、なかなか難しい問題だと思うので、ぜひお二人に聞きたい。カフェフィロでは答えは統一されているんでしょうか?

哲学史とかをある程度知っている人に向けた言葉と、知らない人に向けた言葉も違うんじゃないかと思います。例えば1分間で、哲学カフェの魅力が伝わって、みんなが来てくれるようなスローガンはあるのでしょうか。

山:カフェフィロのなかで「哲学カフェにおける哲学ってどういうことか」という認識が統一されているわけではないです。でも、この話は、哲学史を知っていたらすぐにわかる、という類のものでもないんじゃないかなと。

自分が哲学カフェでいつも説明しているのは「立ち止まって、当たり前だと思っていたことを疑う」ということと「その上で確かだと思うものを積み上げていく」ことの二つです。哲学カフェの魅力を伝える、という点ではこのような説明では弱いのかもしれませんが、それでもいいのかな、と私は考えています。みんなに哲学カフェに来て欲しいわけではないし、参加を迷っている人の助けになる程度でいいのかなと思っています。

川:ある企業での哲学対話の場で、「哲学対話って飲み会みたいなもんだよね」と社員の方が言っていたので、私はそれを受けて哲学対話は「ルールのある飲み会」だと説明しました。一言で、というとこんな感じになるんじゃないかと思います。

でも、このケースは社員の方が「飲み会」を例に挙げていたからそれに応答しただけで、普段はそんな風には言いません。質問の内容はいわゆるセールストークを作ろう、という話だと思いますが、それはいわゆるプッシュ型の営業だと思うんですよね。アーダコーダでは普段はどちらかというとプル型の営業をしています。哲学対話に惹かれてくる人は何らかの悩みや問いを抱えている方が多いので、まずはその人の話を先に聞いちゃいますね。その上で一緒にどんなことが考えられるか考えていくような感じです。

山:セールストークをしない、というのはカフェフィロにも当てはまると思います。自分が滋賀で開いている「びわこ哲学カフェ」では、はじめ何かキャッチフレーズ的なものを作ろうと思って「こたえがないから、考えたい」というコピーを作りました。でも一年ぐらいすると「本当にこのコピーでいいのか?」と思うようになって、今ではあまり使っていません(笑)。自分は言った後で「本当にそうかな?」と考えてしまうことが多いので、一分間でバシッと言うのは難しいですね。

川:自分の個人的な経験を語ると、初めて哲学に興味を持ったのは17歳の時でした。その時は彼女にフラれて、勉強もうまくいかず、部活動も退部してどん底の状態だったんですね。その時にキルケゴールに出会って、「こいつすげえメソメソしている!」って共感して(笑)。話を元に戻すと、やっぱり何かひっかかりがある人が哲学に興味を持つので、ひっかかりのない人というか、それまでの人生の中で問いを特に抱えていない人を無理に招く必要はないんじゃないのかなって。

山:確かに、哲学カフェや哲学対話に来る人の中には何か問いを抱えている人が多いように思えます。普段からある問いを考えていて、それを他の人と考えてみたいと思って参加されている。僕はそのような人を見ると「哲学とともに生きている」と言う感じがするんですよね。そしてその人と一緒に考えてみたいと思う。カフェフィロは「哲学とともに生きる人をサポートします」と言っているけど、「哲学とともに生きましょう」と言っているわけではない。なので、先ほど川辺さんが言ったことには共感できます。

後半はこちらから。

【ヤマモトが行く】特別編:オープンミーティング@Tokyo(後編)

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