哲学カフェ「社会って、なに?」
こんにちは、まつかわです。
新たな進行役を育てていこうと試みている、岡山大学まちなかキャンパス・城下ステーションの哲学カフェ。
9月、12月に引き続き、2月18日も木下志穂さんに進行をお願いしました。
(私は、「カフェマスター」として、お茶やお菓子の用意をしたり、途中からいらした方の椅子を用意したりさせていただきながら参加。裏方も好きだなと再確認しました。)
それでは、木下さんによるレポートをどうぞ。
(※投稿時、レポートが掲載されている木下さんのブログへのリンクを貼っていましたが、リンクがわかりにくいとご指摘を受け、編集し直しました。)
こんにちは、進行役の木下です。
2018年2月18日(日)13:30〜15:30、岡山大学まちなかキャンパス 城下ステーションにて、哲学カフェを開きました。テーマは、「社会って、なに?」
今回は、県外から来られた方や大学生、元高校教諭やNPO職員、看護師・保健師など18名で、それぞれ多様なバックグラウンドをお持ちの方がいらっしゃいました。哲学カフェが初めてという方が半分近くで、どんな議論ができるのか、ワクワクした雰囲気の中、始まりました。
対話の冒頭、「社会」についてどんな風に感じているかを伺ったところ、ある参加者から、「障害者も、健常者も平等に生きていける社会ってどんな社会なのだろう」、という発言があり、「社会とは、守らなければならない約束やルールを共有している状態ではないか」という仮説が提示されました。
そこから、「ルールを持つという点では、猿などの動物も同じで、社会は人だけのものではないはず」、という意見が出ましたが、自ら社会と認識できているかが重要、という認識論の観点が提示され、一旦、人間のものとして議論が進みます。
次に、社会の成立条件について話し合われました。
「人が二人以上いると社会が生まれる」
「電車の中も社会。会話の有無や関係性に限らず、安心してそこにいられるかどうか」
「ルールや価値観、目的を共有している単位が、社会と言える」
などの意見が出る中、「人はいつから社会にいるのか」という話題になり、「それは生まれた瞬間から死ぬまでだ」「いや、胎内にいる時からではないか」「むしろ、細胞レベルから宇宙まで、社会と言えるのでは」など、社会には空間・時間軸で様々な広がりがありそうだということが共有できてきました。
社会がそういった広がりのあるものなら、「社会人になる」とはどういうことなのか。大学生の参加者から疑問の声が上がりました。
「学生と社会人の違いってなに? 責任の違いだけ?」
「“18歳選挙権“に戸惑う。社会人じゃないはずの学生が、社会のことを決めるよう求められるのに違和感を持つ。」
「大学にいると、社会に出ていないことを弱点のように言われて苛立ちを感じる。“社会人”という言葉には、そうでない人を追い出す意図のようなものを感じてしまう。」
といった意見が出て来ました。
また、「いわゆるコミュニティ的な意味合いでの『社会』と、労働社会・経済社会などの『社会』との違いは何か」
という論点が出、社会はどうやら複数あり、それらが多層的に存在していそうだとうことが参加者の間にイメージできて来ました。
そんな中、「なぜ、社会と繋がれていないと不安になっている子育て中のお母さんに共感するのかについて考えてみたい」という参加者の声があり、私たちが、ある特定の社会と繋がれていないと不安になってしまうことについて考えてみました。
「社会は複数あって、私たちはそのいずれにも自由に参加できるはず。
しかし、世の中は、社会に成果を求め、生産性などわかりやすい指標で優先順位をつけている。だから、本来とても濃密な関係性を持つ社会であるはずの母と子であっても、不安になってしまうのでは」
「1対1の親密な関係は、立派な社会。だから、不安になっているお母さんを元気づけたい。」
「人は、それぞれの社会観を自由に持てる。他者の社会観を押し付けられるべきではないのでは」といった社会観へ展開しました。
さらに、「より良い社会の実現のために政治や権力はどこまで必要か」
「社会とコミュニティとはどう違うのか」
「安心できる社会の実現のため、私たちの意識や姿勢として、共感してもらうのではなく、理解してもらうこと、説得しようとしないこと。また、”追い出さない”ことが重要なのでは。」
などの議論に発展していき、2時間があっという間に過ぎてしまいました。
「社会」という一つのキーワードで、これだけ多くの論点が生まれたことに驚きと嬉しさでいっぱいです。疑問やモヤモヤを沢山お土産に持ち帰る、これぞ哲学カフェの醍醐味。ご参加いただいた皆さんのおかげです。
本当にありがとうございました。
また、岡山のどこかで哲学対話をご一緒できるのを楽しみにしています。
(文責:木下志穂)
(写真撮影:鉤流佳典)