【レポート】高専での哲学対話の可能性を考える座談会@明石高専 | Cafe Philo カフェフィロ

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【レポート】高専での哲学対話の可能性を考える座談会@明石高専

イベントレポート

みなさん、こんにちは!カフェフィロのやまもとです。

カフェフィロでは昨年から兵庫県の国立明石工業高等専門学校(以下「明石高専」)に数回お邪魔し、「情報倫理」について考える哲学対話を実施しています。カフェフィロと大阪大学臨床哲学研究室の合同チームで、昨年は三年生、今年は新たに入学した一年生のクラスを対象に、情報倫理にまつわるトピックについて対話を行ないました。

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「なぜ情報倫理?」と思われるかもしれませんが、情報技術が急速に発展している昨今においては、「こうするべき」という規範が定まっていない新たな領域が次々と誕生しています。そのような「指針の空白」の領域において、自らの行動について考えるために哲学対話が有用なのでは?と考えられた明石高専からのご依頼が今回の試みにつながっています。

さて、一年生の授業の最後の回には、全国の高専で哲学対話の実践を行なっている先生方が見学・参加してくださいました。授業終了後、高専での哲学対話に関してゲストの先生方や明石高専の先生方を交えて意見交換を行いましたので、今回はその座談会の模様をお伝えしたいと思います。

●座談会に参加したメンバー(役職は座談会を開催した2019/7/12当時のものです)

佐村 敏治さん(明石高専 情報メディアセンター長)
梶村 好宏さん(明石高専 アクティブラーニングセンター・センター長)
面田 康裕さん(明石高専 一般科目)
佐藤 勇一さん(福井高専)
村瀬 智之さん(東京高専)
小川 泰治さん(宇部高専)
桂ノ口 結衣さん(阪大臨床哲学研究室)
松川 えりさん(カフェフィロ ※明石高専「哲学概論」講座を担当)
鈴木 径一郎さん(カフェフィロ)
中川 雅道さん(カフェフィロ)
山本 和則(カフェフィロ)

当日の感想

山本:本日はありがとうございました。今回の授業には、全国の高専で授業を行なっている先生をゲストとしてお呼びし、対話に参加者として加わっていただきました。まずはゲストの方に感想をお伺いできればと思います。

中川:私は福井高専と東京高専で哲学対話を行ったことがありますが、学生さんの感じはよく似ていると感じました。学生は周りと同じであることを好むような雰囲気があるように見えますが、実はみんな独自の意見を持っている印象です。対話の場でも自分独自の意見を積極的に発言していました。
自分が参加したグループでは、LINE上のコミュニケーションと実生活でのコミュニケーションの違いが話題になり、学生から鋭い意見も出て楽しめましたね。

村瀬:私が今回参加したグループでは「自殺」がテーマになりました。私は東京高専で一年生の授業を担当しているのですが、その授業でも初回のテーマが「自殺」でしたので、偶然の一致かもしれませんが驚きました。みんな積極的に話すし、意見もまとまっているな、と感心していました。

佐藤:高専の学生はどこも真面目な生徒が多い、という印象です(笑)。私が務めている福井高専の学生は初めの方はおとなしくて、最後の方に発言する者が多くなってくるのですが、今回は最初から盛り上がっていたことが印象的でした。

小川:はじめ、進行役の皆さんが結構小さな声で話していることが印象的でした。学生は騒がしくて、ちゃんと聞いているのかな、と心配になりましたが、意外とみんなしっかり聞いているんですね。昔は自分もゲストとして授業によばれていましたが、今は教員として授業をする立場です。自分だったら全員に届くように大きな声で「教員」っぽく話してしまうなと思って、「先生になったんだな」と改めて感じました。

山本:見学された明石高専の先生方はいかがでしょうか。

梶村:私は普段授業で電気回路について教えているんですが、そこで教えることはあらかじめ決まっていて、「深く考える」という機会はあまりないように思います。今回の授業を拝見して、皆さんが予定されていないものを扱う、例えるなら生のものをその場で調理していくようなことをされていて、それがすごいと思いました。学生もこのような授業が少ない中で、適応していたことも印象的でした。こういう対話的な授業が今後求められると思いますので、明石高専でも増やしていければと思います。

当日の授業の進め方について

山本:私たちは昨年度、三年生を対象に授業を行いましたが、今回は一年生を対象に、一学期にそれぞれのクラスで情報倫理について考える哲学対話を実施しています。進行役を担当した方に、どのように授業を進めたかお話をお伺いできればと思います。

松川:三年生のときはテーマを統一していましたが、今回はテーマを進行役ごとに変えてみました。進行役が色々と試行錯誤していて、やり方もそれぞれ独自の特徴があったように思います。

私の場合、今回は「ネットで難しいと感じること」を生徒にあげてもらう事からはじめました。そうすると人によって意見が分かれるポイントが出てくるので、そこを深掘りする、という感じです。例えば、今回はLINEの「既読スルー」が気になる人と、気にならない人が分かれました。お互いがどうしてそう思うのかを発言してもらい、質問しあったりする事で、ネットでのコミュニケーションと対面でのコミュニケーションの違いについて考えるきっかけになったと思います。

あと、一年生のクラスということもあり、このような進め方をすることで、クラスメイトが普段の生活で考えていることやお互いのことを深く知るきっかけになればというねらいもありました。

桂ノ口:授業のテーマは「情報倫理」だったんですが、私は「情報」に特別こだわるというよりも、まずは「倫理」に重点を置き、そこから情報倫理について考えたいと思っていました。

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今回は、授業のはじめに倫理とは「誰か/なにかと一緒に生きていくために、それぞれの関わりを考えること」である、という導入を行いました。その上で、学生に「今までしたことで一番いいこと、悪いこと」を話してもらいました。それぞれの例はとても興味深かったですが、今振り返ると、単発的な授業という場でこの問いかけをすることで、誰に気づかれることもないまま過去の辛い経験を想起する危険性もあったな、と思います。

その後、学生に問いをだしてもらい、そこから投票制でテーマを決定しました。前の授業では「一人で∞票投票してもいい」というルールにしていたのですが、それだと誰か一人が∞票を入れたらテーマが決まってしまう、というツッコミを鈴木さんから受けたので、今回の授業は一人5票にしました。

中川:一気に少なくなりましたね(笑)

桂ノ口:それで学生から出された問いは、「いじめ」や「スクールカースト」、「ジェンダー」など、この場で話すことが辛い人もいそうな話題が結構ありました。そこでテーマを決める前に、みんなに目を閉じてもらって、このテーマで問題がある場合は挙手してもらう、ということにしました。結果として今回は「表と裏があるのはいけないこと?」というテーマになりました。

鈴木:私も桂ノ口さんにやり方は似ていて、まず倫理的な問いについて考え、あとで「情報」に接続する、というアプローチをとりました。まず自分が倫理について分からなかったので、「倫理ってなんだと思いますか?」と学生に質問しましたが、そこで「人としてやっていいこと、いけないこと」という使えそうな回答があったので、「じゃあそれについて考えよう!」となりました(笑)。

この後、「人としてやっていいこと、いけないこと」を考える問いを学生に出してもらいましたが、今回は「自殺」の投票が一番多かったです。自殺そのものへの関心、というよりは、その問いの周辺に考えたいことがあったのかもしれません。

議論の最後の方ではテーマと情報との関連についても考えました。例えば、SNSにいじめの様子を投稿することや、自殺の方法がネットで拡散することの是非、など、私が思ったより多様な観点で、情報に関連するような意見が出されたと思います。
終了後のアンケートでは、「SNSで流れてくる情報を自分の考えとして鵜呑みにせず、自分で考えることが大事だと思った」という意見もありましたね。

哲学対話で「情報倫理」を扱う、ということ

村瀬:私も鈴木さんの班に参加していたのですが、大人が「情報倫理」というと、まずはネットマナーの話を思い浮かべてしまうんじゃないかと思います。でも、今回学生から出てきたような報道の仕方の話や、SNSを鵜呑みにしないこと、なども「情報倫理」ですよね。「情報倫理」という言葉を学生が知らないことからこそ、先入観なく色々な話題が出てきたのではないかと。その意味で今回の哲学対話では、決まった分野としてではなく、「新しく情報倫理を立ち上げる」という感じがあり、興味深かったです。

佐村:学生の様子を見ていて思ったのですが、今までは「情報」にこだわりすぎていたのかな、と感じます。「情報倫理」といっても根底には人間としての倫理の問題があり、それを丁寧に考えることが重要かもしれない、と思いました。例えば桂ノ口さんの班の「表と裏」の話題は普遍的な倫理の問題ですが、例えば学生達がSNSで「表アカウント」、「裏アカウント」を使い分けていることなど、情報倫理としても考えることのできる話題だと思いました。

村瀬:例えば、松川さんの班で出たLINEの既読スルーと未読スルーの問題ですが、コミュニケーションの問題としては普遍的な話題といえるかもしれません。
ただ、学生が既読スルーや未読スルーにこれほどまで気を遣う世界に生きている、ということは、先生には詳しくはわからないんじゃないでしょうか。哲学対話で学生から実感とディティールを伴って意見が出てくることで、はじめて学生の生きている世界が前景化する、ということはあると思います。
これは情報倫理に限らず、専門職倫理や応用倫理一般にいえることかもしれませんが、学生の生きている世界や実感を無視して、定型的な原則を押し付けても、うまくいかないのだと思います。その意味で、学生の実感が伴った意見を共有することのできる哲学対話を専門職倫理の教育に取り入れることには利点があると感じました。

佐藤:今回の授業の感想で、「怖さ」と「楽しさ」の両方を感じた、という意見があったのが興味深かったです。倫理的な内容を授業でやろうと思ったら、「これをやってはいけない」と言って済ませてしまうのが一番楽なんですよね。それなら怖くないですから。哲学対話では相手にもっと聞いてみたい、でもこれを聞いても大丈夫なのかという「怖さ」を感じることがあります。その一方で、それを乗り越えた場合には「楽しさ」を感じることもできます。このような実感が伴っていることもポイントなのではないかと思います。

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高専での哲学対話の可能性

松川:私も初めは「情報倫理」という枠で考えていたのですが、途中で佐村先生から「必ずしも情報にこだわらない」ということを伺ったので、「情報」を意識してみたり、意識しなかったりと色々試行錯誤していました。ただ、私は明石高専の五年生向けに「哲学概論」の授業も担当しているので、「そこでできないことを…」と思い、結局は「情報」の話題から考えてみた感じです。この辺りはどのような枠組みで授業を担当するか、によってスタンスはだいぶ変わるような感じですね。

山本:なるほど。他の高専の先生はどのような枠で担当されているんでしょうか?

村瀬:私は東京高専では一年生をメインに社会科、主に倫理や現代社会の枠で「対話としての哲学倫理」を教えています。他には四年生の選択科目や技術者倫理も担当しています。
最近はアクティブラーニングのような主体的な学びということが重視されていて、対話での授業も受け入れられていますが、そこでは「学生に何が起こるか」をコントロールすることを先生が手放し、学生に委ねていくことが大事なのではないかと思います。哲学対話は問いから学生に立ててもらうので、テーマも学生に委ねる、という感じです。

小川:私は宇部高専で社会科の教員として採用されていて、主に二年生に倫理を教えており、そこで哲学対話をしています。今日は進行役が複数人いたので少人数のグループがつくれたのですが、普段の授業で教師一人で行うと40人の学生を相手にすることになり、難しさを感じながら試行錯誤しているところです。

佐藤:私は哲学対話を福井高専で昨年から始めたばかりで、昨年は担任をしているクラスの特別活動の枠を利用して中川さんに来ていただいたりしていました。今年からは自分が担当する二年生の「公共社会Ⅰ」という倫理の授業の枠で少しずつ始めているところです。他には三年生の「政治経済」では模擬裁判など、他のアクティブラーニングも取り入れており、そこでも哲学対話を実施しました。あと五年生の選択科目「哲学」では、デカルトの『方法序説』の講読をしていて、司会進行や発表、前回のまとめも全て学生に任せて行なっているのですが、ここでも対話を実施しました。それ以外には専攻科で「技術者倫理」を工学系の専門分野の先生とオムニバス形式で担当しています。そこでも哲学対話を取り入れられないかと考えています。

松川:同じ高専でもそれぞれどのような枠を利用しているか違っていて、お互いにうらやましいところがありますね(笑)
私は「哲学概論」で、技術にまつわる倫理的問題を何回か取り上げるようにしています。明石高専でも「技術者倫理」が専攻科科目としてあるのですが、専攻科に進学しない学生さんはそういった問題について考える機会が少ないのではと思って。ただ、哲学・倫理学系の著者によるテキストと技術系の著者が書かれたテキストでは内容や切り口が異なったりするので、福井のようにオムニバス形式で両方学べるのはいいですね。

村瀬:東京高専では専攻科に技術者倫理の科目がある他に、四年生に工学倫理が必須になっていて、そこは自分たちを含め社会科が担当しています。
工学系の学校に来てみて、哲学や対話の持っている可能性を改めて感じることになりました。
高専だと工学系の友達しか周りにいなくなる、ということがあって、どうしても多様性への感度が低くなってしまうのではないかと思います。実際にはみんな一人一人違うけど、違いをあまり気にせずに「みんな同じ」になりがちになる。専門性を磨き、誇りを持つこと自体は良いことですが、同時に「自分たちにはわからないことがある」ということを自覚することも必要であると思います。

哲学対話の中で周りとの違いに気づいていくと、学校以外にも、自分と違う人たちへ目を向けることができるようになるのではと思います。その意味で哲学や対話が高専で果たせる役割は大きいと感じているところです。

山本:あっという間にお時間が来てしまいました。明石高専のみなさま、ゲストのみなさま、今回は貴重なお時間をいただきありがとうございました。またこのような機会を持てればと思います。

おわりに

いかがでしたでしょうか?
学校での哲学対話一般に当てはまるような話題もありましたが、技術や専門職にまつわる倫理、という観点は、高専ならではだと個人的には思いました。

今後も哲学対話に関する意見交換の機会があれば、内容を積極的に公開していこうと思います。お楽しみに!

(おわり)

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