ミルトーク「岡山芸術交流2016」開催報告
こんにちは、まつかわです。
11月3日、文化の日らしく、ミルトークを開催しました。
通常のミルトークでは、哲学カフェにおけるテーマと同様、アート作品をひとつ選び、感想や作品が問いかけてくるテーマについて話します。
しかし、今回はちょっと特別。
岡山市の「カルチャーゾーン」と呼ばれるエリアで開催中の芸術祭、「岡山芸術交流」をまちごと感じて感想を語り合いたい!
そこで午前中の「ミル編」では、一つの作品に絞り込まず、複数の作品を巡りながらまちあるきをしてみました。
おなじみ岡山大学まちなかキャンパス・城下ステーションに集合後、斜め向かいの旧後楽館展示校舎跡地→城下交差点→表町商店街→城下通り→シネマ・クレール→林原美術館と進みました。
作品についてあーだこーだ感想を語り合うのはもちろん、開始早々作品をみるペースがちがってはぐれたり、いつもみている景色のなかに新しい発見をしたり、美味しそうなものを見つけたり、初めて通る道を通ったり、いろんなことがありました。
ランチ休憩は各々思い思いに過ごし、13:00、再び城下ステーションに集合。
トーク編から参加してくださった方も交えて、感想を語りあいました。
好きな作品や気になった作品から、作品が孕む複数性について。
いくつか作品を観たあと、いつも見ているはずの景色や物がちがってみるのはなぜ?(何十回と見ているはずなのに、初めて気づいたものがたくさん!)
作品が引き起こす私たちのまなざしの変化は、「開発」といえる? 「開発」にはポジティブな変化だけでなくマイナスの変化も含まれる?
作家やキュレーターの意図が気になるのはなぜ? 「意図がある」ってどういうこと?
アート作品をアート作品たらしめてるものは?
まちなかにある作品は、見たいとおもっていない人の目も引きつけてしまう。これは「暴力」なのか?
芸術祭が大好きであちこちの芸術祭を訪れている方、実は岡山芸術交流のスタッフの方、現代アートに縁遠くこのミルトークがなければ行ってなかったという方。
アートとの距離感がずいぶん異なる人たちが集まりましたが、知識や情報量の差を超えて、それぞれの眼差しの奥にある感じ方、言葉の捉え方のちがいが浮かび上がってくる瞬間に立ち会えてよかったです。
終了後も、「現代アートの存在意義は?」、「アートを楽しめる文化や人を育むのに何が必要?」、「わかる人にしかわからなくていいと言われる現代アートを、公共性をもつ芸術祭で行うってどういうこと?」と問いが尽きませんでした。
今後3年ごとに開催される予定の岡山芸術交流。
3年後もミルトークできますように!
今回の参加者数:10人
今回のカンパ:3,000円