哲学カフェ「暦」開催報告 | Cafe Philo カフェフィロ

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哲学カフェ「暦」開催報告

イベントレポート

こんにちは、まつかわです。

今年もよろしくお願いいたします。

 

さて、昨日は、岡山大学のまちなかキャンパス・城下ステーションにて哲学カフェを開催しました。

テーマは「暦」。

テーマ提案者の「5日働いて2日休むという1週間のリズムがあるけど、もうちょっと自分の好きなリズムで働けないかな?」というモヤモヤからはじまり、「フリーランスの人や働かない人は、曜日をどうやって認識してる?」、「そもそも暦はどうやってできたんだろう?」、「暦ってなんのためにあるの?」といった問いが浮かび上がりました。

また、暦だけでなく、時の流れを把握することの意味やあり方という観点から、時間についても議論も展開。

予想はしていましたが予想以上に、自然と文化、個人と社会、一方向的な時間と循環的な時間のせめぎ合いを感じる内容でした。

2017年1月15日「暦」@城下ステーション

個人的に「お!」と思ったのは、「日曜が1週間の始まりと捉えるようにしたら、月曜日がそれほど憂鬱じゃなくなった」という発言。

それから、「みんな年齢を年で把握してる?年度で把握してる?」という疑問に対する、「そのとき、都合のいいほうで」という回答。

時間の捉え方によって気分が変わり、気分によって時間の捉え方が変わることがわかります。

 

しかし、「暦のあり方は、時代や社会によって変わるし、多様でありうる」という主張がある一方で、「社会生活を営むために暦は共通の尺度であるべきで、勝手につくっていいものではない」と強く主張する方もいました。(終盤、何が争点か見えにくい意見の対立があり、争点を明らかにするのに苦戦しましたが、ひとまず私はこう理解しました。)

「他者との関係のなかで共通の尺度が必要」という点に共感しつつ、個人的には何かがひかかったまま、今回は時間切れとなりました。

 

これは帰宅してから哲学カフェの感想を話しててわかったことですが、どうも私は、1ヶ月が31日の月もあれば28日の月もあったり、1週間が7日なのに1ヶ月が30日や31日で割り切れなかったりする現在の暦(家計の管理がしにくいんです!)に「不合理さ」を感じているようです。だから、「共通の尺度が必要」という点には共感しつつ、「もっと合理的な尺度がいいな」と思ってる。

でも、合理性だけじゃ、ある参加者が指摘された「暦の豊かさ」を享受することはできないんだろうな。

「暦は時間を計るものさしであると同時に、そのものさしが私たちの暮らしを左右することもある」ということを、行きつ戻りつしつつ、様々な仕方で感じる哲学カフェでした。

 

今回の参加者数:15人
今回のカンパ:すいません、数えそびれました。500円玉と100円玉がたくさん。

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