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特別企画「手紙で考える」vol.4 (Yさん&山本)

その他

特別企画「手紙で考える」、時間が空いてしまいましたが今回取り上げるのはYさんからのお便りです。コロナ禍での地球環境の変化から、人間の発展について考える往復書簡となりました。

本企画の趣旨と第1回の様子はこちらから。
http://cafephilo.jp/topic/topicpost-1823/

第2回の様子はこちらから。
http://cafephilo.jp/topic/topicpost-1830/

第3回の様子はこちらから。
http://cafephilo.jp/topic/topicpost-1867/

 


カフェフィロの皆様

私が再開を望まないものは、経済活動と、環境に悪影響を及ぼすレベルでの移動です。つまり、人間はこんなに発展しなくてもよかったのではないかという考えです。私たち人類がとても発展した文明に生きている今、昔の生活に戻ることはおそらく不可能だと考えますが、私の理想は変わりません。なぜなら、このコロナ禍で人類が活動をしなくなった途端に地球の環境改善が見受けられたからです。

なぜアザラシが道路で寝ていることが、なぜ猛獣が山から降りてきたことがニュースになったのでしょう?それは、本来みんなのものである地球に人間が弱肉強食の通じないテリトリーを作ってしまったからです。私はこれらの報道に地球のあるべき姿を見出した気がします。
カフェフィロの皆さんはどう思われますか。お返事お待ちしています。

Y


Yさま

カフェフィロの山本と申します。お手紙ありがとうございます。
私は旅行が好きで、これまで飛行機でいろいろな国を旅してきました。これはいうまでもなく文明の発展の恩恵を受けているということですが、最近だとグレタ・トゥーンベリさんが飛行機での移動を控えるなど、その環境への影響が問題視されていると思います。私自身が今後どのように行動するか、Yさんの手紙を読んで改めて悩んでいるところです。

さて、Yさんは「人間はこんなにも発展しなくてもよかったのではないか」と書かれていますが、文明の発展によって救われている命があることもまた事実だと思います。
Yさんにとって「発展する」とはどのようなことでしょうか。発展それ自体が望ましくないことなのでしょうか?
お考えをお聞かせいただければうれしいです。

山本和則


カフェフィロ 山本さま

お返事ありがとうございました。
私の書いた内容が簡略化されすぎていて山本様の混乱を招いてしまったようです。ごめんなさい。私のいう「発展しなくても」は、人間が原始人、もっといえばサルの状態で進化がストップしていればよかったのにということです。
今の私たちだとそんなことは嫌だ、今の方が便利だと思ってしまいますが、サルのままだとすれば発展した未来を知る由もなく、自然や地球に逆らわない弱肉強食の世界を当たり前だと思って生活しているわけですから、何も苦ではありません。不可能な理想論ですが、どうしても「サルだったら…」と思わずにはいられないのです。

山本様は「文明によって救われている命がある」と書かれていました。これには本当に納得してしまう所でしたが、ここで再びサル論の登場です。確かに、文明によって救われている命はあります。しかし、発展しその数をとりとめなく増やしている私たち人間の中でいまだ多くの人々が飢えや不十分な生活によって「半死」の状態になり命を落としているという現状もあります。これで、文明によって救われるべき人の命が十分に救われていると言えるでしょうか。こんなに中途半端な、生死の間をさまよっているような人がたくさんいるぐらいなら、やはりサルとしてこじんまりと生き、何者かにガブっとやられるか、位の高いサルも低いサルも同じ環境要因でいっせいに死んでしまうような暮らしの方が良いのではないでしょうか。
人間は地球の首を直接絞めているだけでなく、それによって自分たちの首を間接的に絞めています。ここまで来てしまったからには未来のことを考えなければいけませんが、一番良いのはサル以上発達しないことだったと思います。

何かまた感じたことがあればお教えいただけると幸いです。
お返事が遅くなりすみませんでした。
暑い日が続きますが、お体ご自愛ください。

Y


Yさま

お返事ありがとうございました。
Yさまの考えは、もし人間社会が原始状態から発展しなかったとすれば、

①地球環境に悪影響を与えることはなかった
②(人口が増えないため)飢えや不十分な生活に苦しむ人の数が少なかった

ということだと理解しました。

②から「人間は発展しない方がよかった」という考えに至るためには、人間の苦しみの総量とでもいうもの(人間全ての苦しみの合計)は少ないほうがいいのか、という点をさらに考える必要があります。Yさまは「少ないほうがいい」と思われているように感じましたが、私はこの場合は苦しみ以外の要素、例えば楽しみや快の感情などについても比較検討する必要があるのではと考えています。文明が発展することでこれらもまた増えているのではと思われ、必ずしも「人間は発展しなければよかった」とはいえないのではないか、というのが私の意見です。

長くなりましたが、話を①に戻したいと思います。
①について、私はYさまに概ね同意しますが、例えばかつての地球では光合成を行う生命が出現したことで大気中の二酸化炭素が減り、当時多くの生命にとって有害であった酸素が増えてしまったため、初期の生命の絶滅を招いたとされています。このように地球環境を変化させるのは人間だけではないということには留意する必要があると思います。

ところでYさまは「人間が発展しなければよかった」というご自身の考えを「理想論」だと書かれていました。改めて考えると、人間には現在の事実と異なった状況を思い描き、それについて考えを巡らせることができる能力があるのだと思います。また、その能力が人間の発展に寄与してきたのではないかと思います。「こうでなければよかった」という考えもまた、現状を変えるための力になるのではないでしょうか。綺麗事かもしれませんが、私は人間の理想を描く力をまだ信じてみたいと思っています。

山本


山本さま

お返事が遅くなりすみません。

前回の山本さまのお手紙にあった、「人間以外の原因でも地球の環境が激変した歴史がある」「ヒトが原始状態に戻ったならば苦しみは減るかもしれないがプラスの感情も減るのではないか」といった様々なご指摘に、思わずウーン…と唸らざるを得ませんでした。
しかしやはり、(とても個人的な意見ですが)五感をくすぐる自然が大好きな私からすると、小さなゴミから大きなビルまで人工物にあふれたこの世界を見ると、時々ため息をつきたくなってしまうのです。そして、もっと自然とともに生きる方法はなかったのかと考えると、辿り着くのは原始人なのです。

山本さまは、手紙に「人間の『こうしたい』『こうしなければよかった』と想像できる力を信じたい」、さらには「これはきれいごとかもしれない」と書かれていました。私は、正直それは本当にきれいごとだと思います。人間が皆協力して、世界が様々な意味で改善されるのに、一体何年かかるでしょうか。私には想像ができません。想像ができないので、時を戻して原始人妄想に走りました。そしてこの妄想も、やはり妄想のまま終わるのかと思うととても空しくなります。

Y


Yさま

お返事をするのにかなり時間が経ってしまい失礼しました。
手紙自体の確認が遅れてしまったこともあるのですが、返事の内容を考えているうちにあっという間に時間が過ぎてしまいました。

私が前回書いた内容には手紙のやり取りをキレイに締めくくりたいという意図が入り込んでいたのではないかと思い反省しています。(前回の私の手紙で終了する予定でしたので笑)未来の世界の姿を私自身も想像できているかというと決してそうではありませんし、想像できたとしてもYさんのおっしゃる通り空しくなることはあります。ただ、そのような、ときに空しい想像(や妄想)の積み重ねが、少なからず社会を変えてきたのではないかとも私は思っています。

さて、「自然とともに生きる」とはどういうことなのだろうかと、Yさんのお手紙を読んで改めて思いました。外部の環境を破壊するような現在のあり方が望ましくないことには私も強く同意しますが、一方で、Yさんが書かれているような原始の人間のあり方を「自然とともに生きていた」とすることにも私は少しためらいがあります。それは外部の環境に全く支配されているだけのように思えるからです。

ところで、今年の秋に京都の廃村を訪れる機会がありました。現在数軒の民家が残っているだけのその場所は、携帯の電波も圏外で、冬は雪に閉ざされ訪問すら困難になります。猪や鹿も沢山いるそうで、野菜や花を育ててもすぐに食べられてしまうそうです。

その村は山奥にあるので、木々が生い茂り、私には手付かずの「自然」が広がっているように見えました。しかし後で詳しい人に聞くと、その木々は元々木材を目的として人間が植えたものであり、また人間が手入れしないと枯れてしまうものだということでした。私たちが考える「自然」というものが既に人間と切り離せなくなっていることを感じさせる出来事でした。自然と人間の関係を考えるとき、私たちは両者が独立した関係にあると捉え、どちらが優先されるべきかと考えがちですが、少なくとも人間の立場から見れば両者は複雑に関係し合っているように思えます。

「自然とともに生きる」というのは、おそらく、人間同士の対話と似た関係なのではと私は思います。自然と人間が切り離せないことを前提としつつ、片方がもう一方を支配し、一方的に利用するような関係ではないようなあり方が果たして可能なのか。Yさんとのやりとりを通して、さらに考えてみたい気持ちになりました。

山本


ーー手紙のやり取りを終えた感想(山本)ーー

Yさんとの往復書簡は、自分自身の在り方について問われるような内容でした。生活を送りつつ返事を考えており時間を要しましたが、相手への応答をじっくり考えながら手紙を書くという行為の醍醐味を味わえたような気がしています。お付き合いいただいたYさんありがとうございました。
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(おわり)

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